アルコール・薬物・ギャンブル依存症者の社会復帰施設 社会福祉法人 青十字サマリヤ会

体験談


サマリヤ館への道 K.YOWAI
平成20年6月16日、札幌の旭山病院を退院し、姉の車で藤野のサマリヤ館に向かった。
途中、姉は一言も口を開かなかった。僕も同様、無言だった。姉の胸中は察することができた。「ついに弟もこんな施設に入ることになってしまったか・・・」 平成12年12月以来、精神病院に6回入院したが、結局アルコール依存症という病気には勝てなかった。逆に妻子を失い、仕事を失い、自宅も失ってしまった。そして何よりも大切な生きる希望すら失ってしまった。もう失うものといったら自分自身の命しかなかった。
どうしてこういうことになってしまったのか?何度も自問自答を繰り返した。やはり酒を止めなかったからなのか?最初にアルコール依存症と診断された際に医師からきっぱり言われた「酒を取るか、家族や仕事や家やその他あなたが持っているもの全てを取るか、どちらを取りますか?」ためらうことなく僕は答えた。「酒以外の方を取ります。」と。
「酒を止める」と固く誓った僕に、いきなり妻が「親族会議で、その人はもう見込みが無いから子供がまだ物心が付かないうちに別れた方がいいとの結論が出たので」と離婚を宣告した。余りのショックに、首を吊って自殺することしか考えることができなくなってしまった。アルコール外来に通院を始めたばかりの旭山病院に事情を話したところ入院させてもらえることになった。
入院したのはアルコール専門病院だった。
アルコール依存症の病名をもらっていたので仕方ないかなと思った。入院期間は3ヶ月、一所懸命に治療に専念し、病気を治して妻と娘に戻って来てもらえるまでに回復しようと誓った。そして退院したが、家で一人でいると妻と娘の使っていた部屋には何もなく、娘の写真すら一枚も残されてなく、ただひたすら悲しくて悲しくて、何もする気力もなくなり、結局10日後に再入院した。また3ヶ月の入院となった。最初の入院とは異なり、僕の気持ちが変わり始めた。自分がこういうことになってしまったのは、そもそもこんな病名を付けられたせいではないのか?自分は肝臓もすい臓も悪くないし、もちろん頭だって正常だ。今すぐ職場に戻っても、他の人の1.5倍の仕事ができるはずだ。
僕は自分の考えで「アルコール依存症の初期」で、酒は以前のようには飲む訳にはいかないが、たまには飲んでも構わない。それに自分は意志が強い方だから、「節酒(コントロールして酒を飲むこと)」が可能だろうと結論を出した。再入院(2回目の入院)の1ヶ月前くらいから外泊しては、試し飲みしては大丈夫と自信を持った。
「節酒」しながら仕事に復帰したが、そのうちに自分の病気を忘れてしまい、「普通」に飲んでいた。しかし、病気は確実に進行していたのには気付かなかった。 15 、4年前、連続飲酒と幻聴、幻覚状態で入院して、今度は酒を止めないとクビになるかもしれないと 退院後3ヶ月デイケアに通ったが、結局ビール1缶を飲んだのがきっかけで、また再飲酒が復活してしまった。もう自分では酒を切ることができなくなっていた。何とか飲酒をゴマかしながら仕事に復帰し、節酒を試みたものの、飲酒がばれて、ついにクビになってしまった。退職願を持ってくるように言われた日の帰り道、「やっと終わった。先のことはともかく、これで明日から好きな時間に好きなだけ酒を飲める」と足取りは軽かった。
退職願を出した翌日、身体がボロボロだったため、旭山病院に入院したので酒は自由に飲めなかったが・・・。
主治医の先生に「やっぱり断酒会かAAにいかないと駄目だよ」しかし僕は「仕事を辞めたのだからもう酒を止める必要もなくなった」と無視した。8ヵ月半も入院していたが、携帯電話でゲームをしたりの毎日で、完全に病院依存症にもなっていた。
退院後は当然のようにすぐに飲み始めた。
しかし身体が酒を受け付けなくなっていた。無理して飲み続けたら、ついに寝たきり状態となり、布団の中で昼夜の区別なく飲み、そして寝て、また起きたら飲んだ。ついに便所にも歩いて行くことができず、這って行った。ほとんど食べてないので、ケツの穴からシャーと水しか出ない。层候中のアル中の友達に「これは入院しなければ駄目だ」と旭山病院にタクシーで連れて行かれた。
入院しても相変わらず携帯でゲームばかりしていたが、ある日、突然に僕に変化が起きた。AAのミーティングに通い始めたのだ。とにかく毎日通った。AAの本もHCOに行って4冊購入した。自分はもう手遅れかもしれないとも思ったが、残りの人生を全てAAを信じて、委ねることに決心した。AAには施設の出身者が多いことに着目し、僕も施設に入所し、基礎を徹底的にやるとともに、失ってしまった生活能力を取戻す訓練をしようと決意した。
平成20年6月16日に僕はサマリヤ館に入館した。共同生活の中で僕は多くのことを学び、気付いた。ミーティングの中で話されるスタッフや仲間の言葉に、24時間一緒に暮らす仲間の姿に、ボランティアで食事を作ってくれる女性達。そしてAAの先行く仲間達(サマリヤ館のOBも沢山おられる。)みんな僕達の回復を願い、手を差し伸べてくれている。
それなのに僕はこれまでの人生では、自分のことしか考えていなくて、その象徴が自己中心的な飲酒であったことに初めて気付いた。
大切な家族も仕事も財産も失って当然のような飲酒中心主義の生活をしていた。失ったものは取戻せないが、心底から悔い改めて新しい生き方を日々することによって、傷つけたり、迷惑をかけたり、苦しめてしまった家族を初め、自分と関わりを持った全ての人に対して心から謝りたい。
僕は平成21年9月30日にサマリヤ館を退館し、現在アパートに一人暮らしをしながら、毎日、サマリヤ館に通所すると共に、毎晩AAのミーティングに参加を続けている。